鎌倉には「アジサイの寺」と称される紫陽花の見どころがいくつかありますが、この季節には殺人的な混み具合で、カメラを構えることすらはた迷惑になりかねません。
そこで、アジサイはもっぱらお散歩コ-スでの鑑賞が快適とばかり、ご近所の様々な花を愉しませていただくことになります。
ところで、この日本原産のアジサイの漢字表記には諸説あってはっきりしないとか、それにまた、白楽天の詩からの「紫陽花」の借用が、実は誤用だったりとか、今では西洋アジサイの方が喜ばれたりとか、話題にはこと欠きませんね。
古くからの園芸植物らしいですが、江戸時代以前の古典文学には殆ど登場せず、『枕草子』にも『源氏物語』にも顔を出していないのですね。『万葉集』には次ぎの二首だけがあります。
言問はぬ木すら味狭藍諸弟らが練の村戸にあざむかれけり 大伴家持
紫陽花の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ思はむ 橘諸兄
例の
『植物ごよみ』の著者、湯浅浩史さんによれば、ここに詠われたアジサイは、家持では「心変り」の例えに使われ、諸兄の場合には縁起植物として扱われていて、この奇しくも「縁起と忌みとに見たてられたアジサイの対立は以降も長く続く」のだそうですよ。(同書、朝日新聞社版 124〜127頁)